鵠沼海岸は、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により海水浴場として最適との折り紙をつけられました。学習院院長だった乃木大将も毎夏学生をつれて海水浴に訪れました。
1966年(昭和41年)11月7日に新設された、小田急江ノ島線の駅では新しい駅。相模野台地の外れに位置する。当時は展望の開けた位置にあった。新しい住宅地の開発に伴い新設された駅なので、これにふさわしい名前ということで湘南台と命名された。
藤沢駅より江ノ島駅に向かう一つ目の駅が本鵠沼駅である。明治35年に開通した江ノ島電鉄に鵠沼駅がすでに開設されていたので、それと区別するため、駅名を本鵠沼とした。しかし、今の本鵠沼駅の北に続く鵠沼神明が鵠沼の発祥とされているところからすれば、まさしく“本”鵠沼といってよかろう。鵠沼明神にはかっての総鎮守烏森神社があり、付近から弥生式土器や土師器が出土している。
湘南台駅より藤沢駅に向かって一つ目にある六会日大前駅は、1988年(昭和63年)8月21日までは「六会駅」と呼ばれていたが、同22日より「六会日大前駅」に改称された。
藤沢の中心“藤沢宿”から離れたところに現在の小田急江ノ島線藤沢駅が設置されたのは、東海道線藤沢駅との接続などの利便性の上からであった。当初は小田急江ノ島線辻堂寄りの江ノ島に向かう案もあったが、交通連絡の便を考慮して迂回して藤沢駅に入った。このため、藤沢駅でスイッチバックして江ノ島に向かうルートとなった。
藤沢市の発展とともに団地の建設を背景に昭和35年(1960年)10月1日に新設された。 その昔、善行寺という寺があったのがこの地域の呼名のおこりだというが、この寺は、新編相模国風土記稿にも見当たらない。しかし、旧円行村に円行寺の跡があることからすると、善行にも遊行寺にゆかりのある寺があったと考えてもおかしくない。
藤沢宿は東海道53次の日本橋から6番目の宿場である。相模国風土記には、「高座郡大久保町坂戸町と鎌倉郡大鋸町をあわせて一宿として藤沢宿と唱す・・・・」とある。 旧東海道は、遊行寺前を通り西南へ、藤沢本町駅前を通っていた。本陣がどの辺にあったかわからないが、この駅がかって藤沢宿の中心にほど近かったのは間違いない。藤沢本町の由縁である。