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趣 味・歴史

企画展「大庭城と城山の歴史」

2018年11月21日 Itatsu
企画展「大庭城と城山の歴史」が藤沢市民ギャラリー、藤沢ルミネ6階常設展示室で開催されている。開期は2018年10月27日~2019年1月13日。
江戸時代に描かれた大庭城に関する書物や絵画に加え、昭和40年代からの発掘調査報告書、弥生から鎌倉時代までの城山から出土した土器などが91品目が展示されている。
大庭城の所在する城山は、城址公園として現地保存されている市内でも極めてまれな地域である。

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大庭城に関する歴史的な資料としては、江戸時代(1841年)に昌平坂学問書で書かれた「新編相模国風土記稿」が重要で、大庭城が平安時代に活躍した大庭影親の居館跡を、扇谷上杉(おおぎやつうえすぎ)氏の家宰である太田道灌が改修したものの、1512年、北条早雲により落城したことが記述されている。

3新編新編相模国風土記稿の大庭城記述箇所

4太田道灌
5北条早雲

平安時代の大庭景親は、「平家物語」の「大庭の早馬」の件りで有名で、頼朝の挙兵の動きを察知し平清盛に早馬を出すとともに、小田原の石橋山の戦いで頼朝軍を破ったた武将である。
 戦国時代初期、大庭城は、東に引地川と西に小出川が流れる天然の要害で、当時関東を支配していた扇谷上杉氏の相模国東部の重要拠点として機能していたことから、家宰だった太田道灌が城の改修したと書かれているが、実際は、扇谷上杉朝昌(ともまさ)が在城していた記録が残っている。やがて北条早雲に攻め落とされるが、その後、小田原北条氏が大庭城を使用したかどうかわかっていないという。(展示案内パンフによる)

6館跡と考えられる掘立柱の建物
7防御施設のとしての堀

大庭城遺跡は、昭和40年代に区画整理に伴い城郭の調査がおこなわれ、城主の居館跡と考えられる掘立柱建物や防御施設のとしての堀などの城郭に関連する遺構が確認されました。これら大庭城の遺跡は、戦国時代の黎明期を解明する貴重な資料として注目されています。

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また、城郭が所在する台地には弥生時代から平安時代にかけての集落が存在していたことが発掘調査によって判明しています。市内で数少ない古墳時代中期の土師器などが確認されています。

本展示開期中、12月8日に「大庭城の謎にせまる」講演会が企画されている。
昭和40年代以降は掘削された調査報告書の刊行記念として城郭研究や文献史学の第一人者を招き開催される。

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markenopo 2018年11月21日