「藤沢今昔」(2)JR藤沢駅北口の移り変わり

 

「昭和の藤沢」の写真と現在の様子を撮った写真を対比した「藤沢今昔」シリーズの第2回目は、JR藤沢駅北口の移り変わりを見てみましょう。なお、前回同様「昭和の藤沢」は、藤沢のアマチュア写真家・故渡邊廣さんが撮った写真と記述を参照させていただいております。 (写真集はふじさわガイド「昭和の藤沢」からご覧いただけます。)



1911111.090402 1昭和49年撮影・藤沢駅北口駅舎
1911112.090402 2平成21年3月
1911113.P1020057令和元年11月

藤沢駅は、橋上駅舎化されるまでは、北口と南口に駅舎が分かれていました。北口駅舎は藤沢駅の表玄関の役目を果していました。
橋上駅舎は昭和55年に完成し、これに合わせて南北自由通路も開通しました。

1911114.090402 3昭和35年撮影・北口広場
1911115.090402 4平成21年3月
1911116.P1020066令和元年11月
1911117.090402 5昭和35年・北口広場
1911118.090402 6平成21年3月
1911119.P1020060令和元年11月

昭和35年当時、北口駅舎前の広場周辺には、高島屋ストア、玩具店、そばや(三笠)、レストラン(喜楽)、パチンコ店、神奈中営業所、料亭(角若松)、旅館(稲毛屋)、が並んでいました。
広場には乗り合いバスの乗り場があり、1番線から6番線まであって、横浜、鎌倉、国府津、長後など各方面に出ていました。

昭和39年になると、北口の再開発が着手され、本格的な都市型デパートの進出も計画され、デパートのさいか屋が入居する増田ビルが「角若松」の跡地に建設されることになりました。(さいか屋は昭和40年4月開店)
これと平行して近くの旅館「稲毛屋」も取り壊され、駿河銀行が入るビルが建設されました。昭和40年9月には、駅の南北を結ぶ地下道も開通しました。

昭和50年になると、北口再開発第2弾として、高島屋ストアの跡地周辺に再開発ビルを建設することになり、核テナントに、都市型一流デパート進出を計画しましたが、地元商店街の反対もあって直接進出は断念し、代りに三越とさいか屋が合弁で新会社を設立、「藤沢さいか屋」として出店することになりました。
北口再開発ビルは「サンパール藤沢」という名前で昭和53年11月にオープンしました。(これに伴い、増田ビルのさいか屋は店を閉め、その後釜に、丸井が昭和54年出店しました。丸井は平成18年2月に閉店、その後ビッグカメラが入居して現在に至っています)

藤沢駅の橋上化、南北自由通路の開通にあわせて2階建て人工広場の「サンパール広場」がオープンしました。サンパール広場の下(1階)はバスターミナルとなっています。


                                          (初掲載 2009-03-31・更新2019-11-15)