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趣 味・歴史

日蓮上人ゆかりの龍口寺を訪ねる(歴史探訪⑭)

2021年10月4日  (itazu)
今回は、2021年10月1日に藤沢市の指定重要文化財(建造物)に指定された日蓮上人ゆかりの龍口寺を訪ねます。
(龍口寺は、江ノ島電鉄線「江ノ島駅」から徒歩3分)

<龍口寺の本堂、山門、五重塔を市の指定重要文化財(建造物)に指定>
藤沢市は10月1日(金)に、龍口寺本堂・山門・五重塔を市の指定重要文化財(建造物)に指定しました。今回の指定により、藤沢市の市指定重要文化財は、計88件となります.

藤沢市 ホームページ(city.fujisawa.kanagawa.jp)

◆龍口寺本堂 (写真左)
[指定内容]  1832年竣工、日蓮宗の寺院としては神奈川県屈指の大堂であり、幕末らしい開放的な構成と豊富な彫物を特徴とし、材料・造作及び彫物など細部装飾の質が高い。
狩野派の絵師による天井絵、板戸絵、本堂と同時期に制作された厨子、天保4年の銘が刻まれた賽銭箱。

◆山門
[指定内容]  最も格式の高い四脚門形式の向唐門で、棟札から1864年に大阪の豪商加嶋屋作五郎の寄進により建立されたことが分かる。材が太く、軒の出が大きい安定感のあるプロポーションとなっている。江戸後藤流の流れを汲む彫師による彫刻は、中国画題を多用し、木目を活かした彫りが精緻で表情豊かに表現されている。

◆五重塔
[指定内容]  初層から四層は二軒・繁垂木、五層のみ二軒・扇垂木とする。初層から四層の24面に「日蓮上人一代記」の彫刻が彫られている。1910年旧尾張徳川家の御大工・11代竹中藤右衛門(後の竹中工務店)により竣工。近代に入ってからの建立ではあるが、緻密な細部を持つ本格的な五重塔であり、神奈川県内では創建時の場所に現存する唯一の木造塔としても貴重である。
(以上は、ホームページの要約です。)
今回の、指定された建物は、いずれも、19世紀に建立されたものです。

<龍口寺の始まり>
龍口寺(りゅうこうじ)は神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山です。
この地はかつての刑場跡で、1271年(文永8年)に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになりました。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難とよんでいます。
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その後1337年に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮(しきかわ)堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)を置いたのが龍口寺の始まりと伝わっています。
なお、本格的な寺としての格式を整えたのは1601年以来のこととされています。

<日蓮について>
日蓮は、鎌倉時代に法華宗(日蓮宗)を開き、浄土宗や禅宗、律宗など、他の宗教の徹底した批判を行い、鎌倉の名越で1253年、浄土宗の信者に襲われる「松葉ヶ谷(まつばがやつ)の法難に遭います。
これにひるむことなく、北条時頼に「立証安国論」を上呈し、また元寇を前に予言的な言動で鎌倉での布教を目指しましたが、日蓮の激しい主張は、たびたび法難を招き、1271年鎌倉の龍の口で処刑されそうになり、光る物体が現れ難を逃れたといわれます。
この異変に幕府は、死罪を断念し、佐渡に流されたといわれています。
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<龍の口は刑場の跡地>
龍の口は、鎌倉時代後期ごろ刑場でした。
有名な処刑記録は、次の3件。

●1271年 日蓮の龍ノ口法難
●1275年 元の使者 杜世忠一行の斬首
8代執権北条時宗は元使一行を竜ノ口にて斬首。処刑後は隣接の常立寺の埋葬された。
●1335年 中先代(なかせんだい)の乱を起こした北条時行
1335年北条高時の子時行もこの地で処刑されたという記録が残っています。
北条鎌倉幕府最後の執権高時の子時行が、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の建武政権に対して北条氏の再興を図って挙兵した乱で、
「中先代」というのは、北条氏の先代、足利尊氏の後代に対して言います。

<参照資料>藤沢市ホームページ、龍口寺案内版、日本の歴史「蒙古襲来」(中公文庫)、山川日本史小辞典、ウィキペディアなど 
  
 
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2021年10月07日