横浜人 ぶらり藤沢宿を歩く

2021年11月12日  eguchi
 藤沢宿は 天保14年(1843年)では宿場の人数4.089人、家数919軒で本陣と脇本陣が各1件、旅籠屋45軒立ち並んでいました。
江戸時代の主要街道には宿場の出入口となる「見附」と呼ばれる構造物があリます。江戸側にある見附を江戸見附(諏訪神社付近写真)という。 
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藤沢宿 江戸見附。

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時宗総本山 遊行寺。

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旧東海道の面影を残す土蔵や商家建築が点在しています。
旧・桔梗屋の文庫蔵・店蔵・主屋(国登録有形文化財)紙問屋。

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 浄土宗 常光寺 境内全体を樹木に囲まれ、その樹木すべてが市の天然記念物。

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伝 義経首洗井戸 1189年岩手県奥州市自害し、腰越で首は
 浜に捨てられ潮にのって川を遡り里人に拾われてこの井戸で清められた。

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 浄土真宗 永勝寺 江戸時代の飯盛女の墓が小松屋の墓域に39基ある。

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白旗神社 寒川比古命を祀る、義経の首が白旗明神として
 白旗神社と呼ばれる様になりました。

記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2021年11月12日