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趣 味・歴史

歴史探訪⑱ 円覚寺(えんがくじ)
鎌倉の禅文化:鎌倉五山(その3)

2022年1月20日  (itazu)
「鎌倉五山」を訪ねています。
「鎌倉五山」とは室町時代、禅宗(臨済宗)の最高の寺格を持つと時の幕府に認められた五つの寺をいいいます。
鎌倉は①建長寺②円覚寺③寿福寺④浄智寺⑤浄妙寺と定めました。これまで➂寿福寺、①建長寺を訪ねましたが今回は②円覚寺を訪ねます。

重厚な山門
鎌倉時代、日本と南宋との交流は活発

鎌倉時代、日本と南宋との交流は活発になり、貿易船に同乗して留学(入宋)する禅宗や律宗の僧侶が増加しました。
いち早く留学した栄西は、北条政子に寄進され➂寿福寺を開山しました。
また同時に、
渡来する禅僧も増え、蘭渓道隆は第5執権北条時頼によって創建された建長寺に迎えられました。

仏殿(本尊は宝冠釈迦如来像)
北条時宗が無学祖元を招く

大陸では、モンゴルが南宋へ侵攻し始め、日本にも2度の蒙古襲来(1276年、1281年)がありました。
第8執権北条時宗は、建長寺の蘭渓道隆が没すると、
南宋から、鎌倉の禅林をリードする高僧として無学祖元を招きました。

怨親(おんしん)平等の考えで開創

無学祖元は、読経などによってモンゴル降伏を祈るとともに、戦死、溺死した日本・モンゴル両国の人々を供養したといわれます。


舎利殿(中世建築物として国宝に指定
父 北条時頼におとらず禅への信仰心を高めていた時宗は、さかんに無学祖元のもとへ参禅し、元寇の際、犠牲になった両軍の兵士をとむらうため怨親平等(敵も味方も平等である)に菩提を供養する大寺の創建をはかり、無学祖元を開山として、1282年円覚寺開創されました。3年後の1285年 円覚寺舎利殿が建てられました。

遊行寺にもある敵御方(てきみかた)供養塔

室町時代、夢想祖元が、足利尊氏に怨親平等の教えを説き、南北朝で対立していた後醍醐天皇の菩提をとむらうために天龍寺の建立(1339年)を進めたといわれます。
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遊行寺にある敵御方(てきみかた)供養塔
遊行寺にある敵御方供養塔も
上杉禅宗の乱(1416年)の敵味方双方の死者を弔うために時宗の上人が建立したものです。

禅宗や、念仏宗など宗教が、戦乱の世の武士の精神的な支えになっていたことがわかります。

梵鐘(国宝
その後も、禅宗を通して日中の交流深まる

元寇後、南宋が滅亡し元になっても、禅僧の留学や渡来は続き、第8執権北条貞時の時1299年にモンゴルの朝貢督促の使者として来日した一山一寧は、高僧であったため、幽閉されましたが、多くの僧から一山一寧の名望が高まり、死を免ぜられ幽閉もとかれました。のちに、建長寺、円覚寺の住持を務めることになりました。
こうして禅宗を通して海を隔てた日中の交流は深められていきました。

方丈庭園 (建長寺・瑞泉寺の庭園とともに、国指定の名勝

開基廟(北条時宗貞時高時の像が祀られている)
 
(参考文献:「鎌倉の寺社122を歩く」(PHP新書)、「中世史講義」(ちくま新書)、ウエブサイト「いざ鎌倉」など)
 

記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2022年01月20日