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趣 味・歴史

歴史探訪(22)永福寺跡(ようふくじあと)(国指定史跡)

2022年03月28日  (itazu)
今回は、源頼朝が1189年に奥州平泉を攻めた後、戦いで亡くなった将兵の鎮魂のために建てたといわれる寺院、永福寺跡を訪ねます。
                               跡地案内板にある永福寺復元想像CG(作成:湘南工科大学) 
 

跡地案内板
平泉の毛越寺や中尊寺を見て、永福寺の建立を思い立つ

永福寺は、源頼朝が1189年に奥州平泉を攻めた後、戦いで亡くなった源義経や藤原泰衡をはじめ数万の将兵の鎮魂のために建てた寺です。
頼朝は、平泉で毛越寺や中尊寺を見て、永福寺の建立を思い立ったとされています。
とりわけ、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して工事に着手しました。
その年、二階堂は完成、翌1193年阿弥陀堂、1194年薬師堂が完成しています。

永福寺跡の池
当時、鶴岡八幡宮、勝長寿院(廃寺)と並んで三大寺社の一つで「二階堂」と称されていました。
永福寺は、池に面して、阿弥陀堂、二階堂、薬師堂が並んでいました。

頼朝没後、永福寺は幕府の迎賓館として使われる

頼朝没後、頼家、実朝、頼経以下歴代の将軍たちは、境内で、華やかな行事(蹴鞠、酒宴、花見、雪見、歌会など)を行うようになり、永福寺は幕府の迎賓館として使われるようになりましたが、鎌倉幕府滅亡後、1405年永福寺は炎上し廃絶しました。

永福寺跡の伽藍の跡
国指定史跡の公園として整備

鎌倉市では、史跡の整備に向けて1981年から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を廃した庭園の後を確認しています。
全長130mに及ぶ伽藍と100m以上ある池が造られていました。
昭和41年に国の史跡に指定され以降、発掘および史跡公園としての整備が行われてきました。



(参照資料:記事作成には、現地案内板や案内資料を参照しました。)
 
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(鎌倉駅からバスで「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスを利用し「大塔宮」下車し瑞泉寺へ向かい徒歩5分)
 
 

記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2022年03月28日