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趣 味・歴史

歴史探訪問(25)  光明寺と極楽寺を訪ねる(鎌倉)

2022年6月6日  (itazu)

鎌倉時代に開山された浄土宗、律宗の代表的な寺、光明寺と極楽寺を訪ねます。
鎌倉時代は、禅宗、律宗、浄土宗、法華宗などが広まった時代ですが、
特に、
関東に浄土宗を広く布教した三祖、良忠が創建した光明寺
律宗の本格的な布教を関東で始めことになった忍性極楽寺
は、それぞれの宗派の重要な拠点となりました。

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光明寺山門:1847年に再建されたものですが、鎌倉随一の大きさを誇ります。この奥に、国指定重要文化財の大殿(本堂)があります(現在修復中)。
<光明寺>

浄土宗二祖聖光上人より奥義を受けた三祖良忠上人が、1243年鎌倉に第4代執権北条経時(つねとき)の帰依を受け、光明寺を開山しました。「良忠の教えは、経時が目指していた撫民政治(民を大事にする)に影響を与えた。」(案内説明板)といわれます
第4代執権経時は、第3代執権泰時の孫にあたり、父の時氏が早逝し、若くして執権に就任したため、祖父泰時や大叔父の重時に支えられた体制が取られてきました。

「百姓をいたわれ」家訓を残す重時

北条泰時は、1232年に武家による最初の成文法「御成敗式目」を制定しますが、制定以来、鎌倉執権政治に撫民政策(民を大事にする)が取られるようになります。

光明寺総門
北条重時も、京都の六波羅探題時代から、浄土宗の影響をつよくうけ、「百姓をいたわれ」といった家訓を残すなど、統治者として「民を大事にする」意識づけを後世に残しています。
経時の良忠への帰依も、そうした影響におけるものだったと思われます。
経時の後も、第5代執権時頼をはじめ歴代執権の帰依を受け、関東における総本山として念仏道場の中心となりました。
光明寺は、現在も、増上寺や善光寺に並ぶ、浄土宗の大本山です、
 

極楽寺山門
<極楽寺>

北条重時が開基

江ノ電の極楽寺駅裏手に真言律宗の寺院極楽寺があります。
1259年忍性が開山し北条重時が開基したと伝えられます。
貧しい人々を救済する忍性は、奈良西大寺の真言律宗の叡尊(えいそん)門下で鎌倉へ迎えられました。
かつての寺域は広大で、病院施設もあったといわれます。

極楽寺参道
忍性は「医王如来」と崇められる

忍性は、貧しい人々を救済するために、施薬(せやく)院、悲田(ひでん)院など設けて医薬、福祉事業に取り組み「医王如来」と崇められました。土木事業もさかんにし鎌倉七口の一つ「極楽寺坂切通」を開いています。
境内には,認性が粥を施したとする「極楽寺ノ井」や薬を調合した「製薬鉢」が残っています。
極楽寺を開基した北条重時は、泰時没後は、第4執権経時や、第5執権時頼の連署(副執権)として補佐し、引退してからは、出家し極楽寺に隠居し極楽寺殿と呼ばれています。
極楽寺は、忍性が開山するまでは、重時の別院として浄土宗だったといわれています。なお、重時の甥、金沢実時も忍性に帰依し、金沢称名寺を建立している。
執権政治の黄金時代
法然の浄土宗をはじめ禅律宗など鎌倉新仏教による影響の下、
泰時(3代執権)→常楽寺(真言宗→臨済宗
経時(4代執権)→光明寺(浄土宗)
時頼(5代執権)→建長寺(臨済宗)
重時 (副執権)  →極楽寺(律宗)
時宗(8代執権)→円覚寺(臨済宗)
とそれぞれ宗派の中核となる寺を開基し、撫民政策を打ち出して来ました。
泰時から時宗までの約60年間は、執権政治の黄金時代といわれます。
(下表は、歴代執権が開基した寺の詳細です)
(参照資料、現地案内掲示、日本の歴史5「躍動する中世」(五味文彦、小学館)、「日本史のツボ」(本郷和人 文春新書)、ウイキペヂア他)
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