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善行雑学大学「西郷吉之助の生き方と国家観」

2018年9月24日(取材・記事:Tanbakko)
 善行雑学大学で「西郷吉之助の生き方と国家観」という講演を聞きました。西郷吉兵衛、また吉之助、「西郷さん」と親しまれてきた西郷隆盛の生き方、考え方を、西郷の残した手紙から読み解いていこうというのが、講演の趣旨でした。

 講師は、鎌倉考古学研究所理事の伊藤一美氏。善行雑学大学では、2003年の52回講座から毎年登場し、今回で17回目の講演です。
takamori 01西郷隆盛の生き方、考え方を、西郷の残した手紙から読み解いていきます
 西郷隆盛の手紙は、安政2年(1855年)8月の横山三円宛てから亡くなる明治10年(1877年)9月22日の戦闘部隊各隊宛てまで約180通の手紙が残されています。

 島津斉彬の御小姓として裏工作に従事した若き西郷吉兵衛から、幕末の動乱期を走り抜けた壮年の西郷隆盛、そして明治新政府の中核として新国家建設に尽力した晩年の西郷隆盛。彼の考え方・思想や生き方を、彼の残した手紙を通してたどる形で講演は進められました。
takamori 02多くの聴講生が熱心に講演に耳を傾けました
 西郷の残した手紙から、彼の考え方の変遷をたどってみます。

 島津斉彬の御小姓として裏工作に従事した若き西郷吉兵衛は、徳川家定(13代将軍)の後継者に一橋慶喜を橋本佐内とともに推進するなど、一橋派を支持していました。この一橋派支持の姿勢は、長州征伐の頃まで一貫したものでした。

 しかし、兵庫開港の頃から、フランスが徳川幕府を支援することで利益保護を狙っていることに反対して、薩長を基本とした幕府体制の改編へと考え方を変えていきます。自国の国体は自分たちの問題として解決すべきという国家観が見えるのもこの頃です。そして、鳥羽伏見の戦いから討幕へと進んでいきます。

 明治新政府が成立した明治2年(1869年)、西郷は爵位を返上して鹿児島に隠棲しますが、翌年、勅命により上京。廃藩置県の準備を行なうなど新政府の政治に関与していきます。この頃、西郷が提起した2つの重要な政策があります。一つは、司法と警察の分離案(江戸時代は司法と警察は一元化していました)、もう一つはバンク法の設置で、銀行の重要性を提起しました。
takamori 03聴講生からの質問にも丁寧に解りやすく答えていただきました
 明治6年(1873年)頃から西郷は樺太と朝鮮問題で、「兵」(軍事力)を背景にした国家態勢へと考え方がシフトし始めていることが手紙でも読みとれます(板垣退助や三条実美宛ての手紙)。「征韓論」へ傾き始めたのもこの頃からです。西郷はこの頃から病気がちとなり「死」のことを語る書簡も多数見られるようになります。

 そして、西南の役による死を迎えます。明治10年(1877年)9月22日の最後の手紙では、義挙の大義名分を明らかにして、討ち死にの覚悟を各隊に伝えています。 最期に、勝海舟と西郷隆盛がお互いに信頼しあっていたことを紹介して講演は締めくくられました。

講演を聞いて
 伊藤氏は、NHK大河ドラマで描かれる人物を独特の切り口から取り上げて、毎年講演されています。今回は西郷隆盛の残した手紙から、彼の考え方や生き方を振り返ってみるという切り口での講演でした。

 参考までに、伊藤一美氏の善行雑学大学での講演記録を添付しておきます。来年はどのような切り口で講演されるか楽しみです。
 
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markenopo 2018年9月24日