生活・人
 

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『太平洋を越えた日米女性たちの誓い』
~大山捨松  津田梅子  アリス・ベーコン~

2020年1月27日(取材・記事:Tanbakko)
1月19日に開催された善行雑学大学第248回講座のテーマは『太平洋を越えた日米女性たちの誓い』~大山捨松 津田梅子 アリス・ベーコン~でした。講師は、大山捨松のひ孫にあたる久野明子氏(一般社団法人日米協会副会長)です。
大山家に残されていた捨松に関連する資料は、1945年の東京大空襲でほとんど焼失してしまいました。そのため久野氏は、1982年にアメリカ各地を訪れて調査を行い、捨松の母校であるヴァッサーカレッジ図書館などに保管されていた手紙や日記などを発見しました。本講演はそのときに発見された貴重な資料を紹介しながら行われました。
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講演は、大山捨松、津田梅子、アリス・ベーコンの残した資料についての紹介に引き続き、「日本初の女子留学生派遣の背景」「捨松・梅子のアメリカのホストファミリー」「ヴァッサーカレッジでの捨松」「捨松・梅子留学を終えて日本へ帰国」「鹿鳴館時代」「アリスの来日」「梅子再びアメリカへ」「女子英学塾の誕生」「捨松・梅子・アリスの誓い」といった内容で行われました。以下は講演の概要です。
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◆岩倉使節団とともに横浜からアメリカへ その留学の狙いとは
明治政府は、1871年(明治4年)に岩倉使節団とともに、日本の近代化に必要な人材育成のため多くの留学生を欧米に派遣しました。この中に、5人の年端もいかない5人の女子留学生も含まれていました。捨松は11歳、梅子は7歳でした。
明治政府が女子留学生を派遣した狙いは、アメリカで大学教育まで受けさせ、帰国後は北海道開拓にあたる有能な男子と結婚させ、頭のよい子(男子)を産んでもらおうというものでした。
5人のうち年長の2人は体調を崩し帰国しましたが、捨松、永井繁子(9歳)、梅子の3人は10年の留学を全うし、帰国後は旧い日本の因習に苦しめられながらも、それぞれの分野で活躍しました。
 
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◆アメリカでの捨松と梅子、そしてアリス・ベーコン
捨松はニューヘイブンのベーコン牧師の家族のもとでホームステイし、ベーコン家の末娘アリス・ベーコンと出会います。梅子は、日本公使館書記官のランメン夫妻のもとでホームステイします。
捨松は高校卒業後、東部の名門女子大学であるヴァッサーカレッジに入学しました。捨松は成績優秀で学級委員長を務めるなどして大学生活を送ります。卒業式では卒業生総代の一人に選ばれ「イギリスの日本に対する外交政策」をテーマに卒業演説を行いました。外交問題をテーマに英語で演説した最初の日本女性ではないかとのことです。また、捨松は帰国までに時間があったので、アリスの兄が開いた看護婦養成学校で3ヶ月の訓練を受け看護婦資格も得ました。これも日本女性では初めてではないかとのことです。
梅子は留学時7歳だったため、高校卒業で帰国しました。
久野氏の発見した手紙や日記などによると、捨松は日本に帰国したら女子教育のための学校をつくりたいとアリスと約束をしていたようです。このことが帰国後の動きに繋がります。
 
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◆帰国後の捨松と梅子、そしてアリス・ベーコン 
帰国後の捨松は結婚か仕事かに悩みます。そして独身の女性では社会的に無力であることに気づいた捨松は、スイス留学から帰国した大山巌の人柄に惹かれ結婚し積極的な活動を開始しました。世は鹿鳴館時代で、大山巌夫人として捨松は「鹿鳴館の華」と謳われます。
日本の女子教育に強い関心を持っていた捨松は、華族女学校の設立に参加し、津田梅子も華族女学校で教授補として教壇に立ちます。そして、二人の要請に答え、アリス・ベーコンが1888年に華族女学校英語教師として来日します。捨松、梅子、アリスの3人の再会です。
梅子は高校卒業で帰国したため、1889年に再度アメリカに留学、ブリンマーカレッジに入学します。大学を卒業し帰国した梅子は、初志を貫徹して1900年に女性英語教師育成のための「女子英学塾」を開校します。現在の「津田塾大学」です。捨松は顧問に就任して梅子を支えます。そしてアリスが再来日して「女子英学塾」で教えます。
ここに、捨松・梅子・アリスの太平洋を越えた誓いー日本の女子教育向上のために学校を設立するーが実現されました。
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◆捨松、「女子英学塾」を献身的に支援する
その後、捨松は「女子英学塾」に献身的な支援を行います。
そのいくつかをあげると、
 ・母校ヴァッサーカレッジに寄付金を依頼する
 ・女子英学塾同窓会会長に就任する
 ・病気療養中の梅子に代わり理事として卒業式で卒業証書を授与する
などです。
また、日露戦争時には、捨松が留学生仲間の梅子や繁子たちとともにその英語力を駆使してアメリカの新聞や雑誌などに日本の立場を投稿し、それに共鳴したアメリカ人たちから送られてきた寄付金を使って託児所を作ったり、戦死して働き手を失った家族に仕事を提供するなどの活動を行いました。
そして、病気のため塾長を辞任した梅子の後任塾長候補を説得にでかけてスペイン風邪に罹り、その生涯を閉じました。
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◆最後に、捨松がアリスに送った贈り物のお話し
捨松がアリスに送った贈り物が約100年後に日本に戻ってきました。捨松はアメリカ留学から帰国してからは一度も故郷の会津に帰っていませんでした。この贈り物は会津の鶴ヶ城資料館に寄贈され、展示されているとのことです。

【講演を聞いて】
曾祖母・大山捨松のアメリカでの10年間の足跡を単身で調査に出かけ、多くのアメリカの人たちの協力を得て、100年以上も昔に捨松、梅子、アリスが書き残した手紙や日記を発見することができました。久野氏のその行動力に深い感銘を受けました。講演では、久野氏が発見した手紙や日記の一端をご紹介いただき勉強になりました。
また、日露戦争時の捨松の活動は、アメリカでの10年にわたる留学で学んだボランティア精神やNPO的発想の反映ではないかとのお話しには、なるほどなあと納得するものがありました。今の時代に通じる先進的な活動だったのではないかと思います。
講演の冒頭で、紙にペンで「手紙を書き」「日記をつける」という習慣が、後の世の人たちにとっていかに貴重な情報を残してくれるのか、ということをお話いただきました。デジタル機器に頼っている今の私たちにとって自戒すべきことだなあと思いました。

善行雑学大学のホームページ⇒https://zengyo-zatsugaku.jimdofree.com/
    
記事編集に際しては諸権利等に留意して掲載しております。   markenopo 2020年1月26日