小田急江ノ島線80年今昔
 

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小田急江ノ島線開通80年今昔(4)-鵠沼海岸駅-

鵠沼海岸駅


鵠沼海岸は、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により海水浴場として最適との折り紙をつけられました。
学習院院長だった乃木大将も毎夏学生をつれて海水浴に訪れました。
鵠沼海岸駅という駅名は、このような背景のもとで同じ鵠沼地域に位置する本鵠沼駅より海岸に近いという立地条件から名づけられました。
駅前周辺には生活に必要な衣食住のお店があり、遠くへ買い物に行かなくてもすますことができます。少し海岸寄りには国道134号線があり、海岸へも近いことから海のレジャーを満喫できる場所に位置しています。

★ 鵠沼海岸駅の由来

海水浴場の発祥の嚆矢は大磯の照ケ崎と言われていますが、葉山に居住したベルツ博士や松本順軍医総監により鵠沼海岸は海水浴場として最適との折り紙をつけられました。
学習院院長だった乃木大将も毎夏学生をつれて訪れ、鵠沼は次第に海岸よりに発展しました。
鵠沼海岸駅という駅名は、このような背景のもとで同じ鵠沼地域に位置する本鵠沼駅より海岸に近いという立地条件から名づけられ、昭和4年(1929年)4月1日に鵠沼海岸駅が開設されました。

鵠沼海岸駅の昔と今とを写真で見てみましょう。

昔の鵠沼海岸駅100422_3

開通当時の鵠沼海岸駅と今の鵠沼海岸駅

★ 乗降客の推移

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乗降客は、平成に入りほぼ横ばいの状態が続いています。
戦前のデータは記録にないため昭和24年からの統計です。 ちなみに昭和23年よりデータは記録されています。

 ★ 鵠沼海岸駅の周辺

鵠沼海岸駅周辺は明治の中頃から始まった開発によって、南北に砂丘列に沿って道を通しました。 また、東西には鎌倉街道として使われたと思われる道を南北の道につなぎ、今の鵠沼海岸の商店街鵠沼銀座→マリンロードへと変遷をたどりました。

駅の出入り口は一か所で海岸寄りにあり、駅を出て左すぐの道を右に行くと「丸政料理店発祥の地」という
黒大理石の碑があります。そこを左に曲がり、2筋目を右にまっすぐ住宅街を行くと国道143号線に出ます。
その地下道を渡ると県立湘南海岸公園の入り口階段があり、まっすぐに行くと海岸に着きます。(この間約5~600メートル)。

「丸政料理店発祥の地」の碑県立湘南海岸公園の入り口

「丸政料理店発祥の地」の碑と県立湘南海岸公園の入り口


県立湘南海岸公園を訪れた日は強風注意報が発令されていて大変風の強い日でしたが、5~6人のサーファーがサーフィンを楽しんでいました。ビーチバレーコートはさすがに楽しんでいる人はいませんでした。

平和の像

 

湘南海岸公園には「平和の像」が昭和40年3月に建立されていて、戦争の御霊を祀り、戦争の無い世界の創造を謳った次の文が刻まれていました。

未来を象徴する筋肉たくましい若人が高く挙げた右手の拳に平和の鳩を受け止め希望の空を見つめています。
この台上に仰ぎみる平和の像は、日中戦争から太平洋戦争へと長い戦争の経験をした藤沢市民と藤沢市によって昭和40年3月に建てられました。
明治以来国の礎になった英霊を顕彰し戦争の悲惨と不幸を再び繰り返してはならないという悲願が込められています。
しかし、年を経た今日、地球上には、なお戦争の不安が絶えません。
藤沢市遺族会は、創立50周年に当たり改めて行く末の平和を強く祈念しつつこの碑を建てました。

この台座の中には英霊のお名前が納められている事を書き添えます。

(参考文献 小田急株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。)

(市民記者 TOMU 2010年4月)