小田急江ノ島線80年今昔
 

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小田急江ノ島線開通80周年今昔(10)-藤沢本町駅-

1. 藤沢本町駅の由来

藤沢宿は東海道53次の日本橋から6番目の宿場である。相模国風土記には、「高座郡大久保町坂戸町と鎌倉郡大鋸町をあわせて一宿として藤沢宿と唱す・・・・・・江戸にて第五の駅郵にて・・・伝々」とあるから、この後に一駅が増えたのであろう。旧東海道は、遊行寺前の通りを西南へ、藤沢本町駅前を通っていた。本陣がどの辺にあったかわからないが、この駅がかって藤沢宿の中心にほど近かったのは間違いない。藤沢本町の由縁である。

2. 藤沢本町駅の昔と今

昭和64年当時の下りホーム平成22年10月下りホーム

昭和64年当時の下りホームと平成22年10月下りホーム
当時の下りホームの面影は今はうかがい知れるところが見当たらない。

3. 藤沢本町駅乗降客推移

乗降人数の推移

一日の乗降客推移は順調に増加しており、それに伴い駅舎の改良が加えられてきた。

4.藤沢本町駅周辺

藤沢本町駅の周辺には約150M西に白幡神社、1KM西には遊行寺、駅の東側には伊勢山公園があり、春には桜が一番に開花し周辺住民の憩いの場所になっている。
白幡神社は、元は相模一ノ宮の寒川比古命の分霊を祀り寒川神社と呼ばれていた。その後鎌倉時代の「吾妻鏡」によると源頼朝の勘気を受け源義経が奥州平泉衣川館で自害、その首が奥州から新田冠者高平により鎌倉に送られ腰越の宿に着き、和田義盛、梶原景時により首実検が行われた。弁慶の首も同時に送られ首実検が行われ、夜の間にこの神社に飛んできたといわれている。このことを源頼朝に伝えると白旗明神としてこの神社に祀るようにとの事で義経公を御祭神とし、後に白旗神社と呼ばれるようになった。

白幡神社伊勢山公園

白幡神社と伊勢山公園

伊勢山公園は、藤沢市の公園として最初に公園に指定されたと言われている古い公園です。
藤沢本町駅を下車し駅を出てすぐ右の踏切を渡りすぐのT字路を右折し駐車場手前を左折して少し歩くと石段があり、石段を222段登ると伊勢山公園に行き着く。そこには大きな桜と慰霊碑が迎えてくれる。広場には、木製の長いすとブランコなどがあり周辺の人々の憩いの場所として親しまれている。

伊勢山公園は、藤沢市の公園として最初に公園に指定されたと言われている古い公園です。
藤沢本町駅を下車し駅を出てすぐ右の踏切を渡りすぐのT字路を右折し駐車場手前を左折して少し歩くと石段があり、石段を222段登ると伊勢山公園に行き着く。そこには大きな桜と慰霊碑が迎えてくれる。広場には、木製の長いすとブランコなどがあり周辺の人々の憩いの場所として親しまれている。

巨大桜の木は次の世代へ伊勢山公園の入り口階段222段上る

巨大桜の木は次の世代へ 伊勢山公園の入り口階段222段上る

最初(11月初旬)行ったときの模様は、根元が3m近い桜の木が東側に3本あった。今回訪れたときには3本が切り取られ、新しく3本の高さ2m程度の若い桜が巨木桜の根元の間に植えられていた。やはり桜も老齢には勝てず世代交代の時期だったのかも知れない。長きにわたり憩いの春を与えてくれた巨木の桜に感謝したい。

5. あとがき

約1年にわたり小田急江ノ島線の開通から80年の藤沢市を通過する駅の乗降客と駅の変わり方を見てきました。その発展を振り返ると、戦前に開通した江ノ島線周辺の発展は目を見張るものがあります。

取材を通じて感じたことは、駅周辺が農地から宅地に変わって行き、人間の利便性だけを求めて発展することへの危機感も感じました。藤沢市も今年市制70年を迎える都市でもあります。人が住む環境、歴史風土を大切に考えながら発展することを祈念しながら幕引きといたします。


最後に、小田急電鉄広報部様の資料提供およびご協力に感謝いたします。

 (参考文献 小田急株式会社のご厚意により各種資料の提供をいただきました。)

(市民記者 TOMU 2010年12月)