昭和の藤沢
 

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第1部 藤沢駅周辺(12/28)

2 新橋上駅に変わる藤沢駅編

新橋上駅の床組工事中
写真6(昭和54年4月)
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辻堂よりの跨線橋を取り壊し、さらに辻堂よりに一時仮設の跨線橋を設け、
中央部に新橋上駅の床組が出来上がった状態。
左下に「江ノ電」藤沢駅の駅舎の一部が見える。


新橋上駅の床組完成
写真7(昭和54年8月)
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南側から見た新橋上駅舎の完成した骨組み。
南口駅前広場の地上面はほぼ出来上がったが、広場周辺を結ぶ歩行者デッキと、
「江ノ電」の新駅とを結ぶ連絡橋などは未完成。
背後のビルは、右が「丸井」、左が「さいかや」。


3 藤沢駅南口

駅前広場・石上通り・踏切
写真8(昭和37年5月)
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南口には「江ノ電」の藤沢駅前に、広場とは言えない程の狭い広場があった。
画面右側の通りは石上通りで、それに面して南口の商店街があった。
「フジサワ中央」のアーチ型の看板が見えるが、五十メートルほど南へ行ったところに、
当時南口唯一の映画館があった。その上に「南銀座街」の文字が読みとれる。
石上通りは、国鉄藤沢駅わきの踏切を通じて北側の遊行通りとつながっていた。
駅北側に料亭「角若松」(左側)と「稲毛家」(右側)、
その間に「時宗総本山遊行寺」と書かれた遊行通り入り口のアーチが見える。
「江ノ電」の乗り合いバスは、昭和38年の半ばまでここの広場を使用していた。


駅南口の商店街
写真9(昭和37年12月)
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この年の十二月初旬に、不幸にも火災によって、ここの商店街は消失してしまった。
しかし、直ちに仮設の建物を建て、歳末の大売り出しを始めた。
画面正面の商店街の地は、現在「名店ビル」になっている。左側が国鉄の踏切。


開かずの踏切
写真10(昭和37年7月)
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当時はまだ東海道線の列車本数があまり多くなかったので、客車だけのときはよかったが、
貨物列車が着いて貨車の入れ替え作業が始まると、長時間踏切が閉まったままになって、
利用者は閉口した。人呼んで「開かずの踏切だ」と。
現在の「名店ビル」前から「丸井」へ抜けている地下道はこの踏切の下に造られた。


自動車の混雑
写真11(昭和37年7月)
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自動車の少なかった昭和30年代初めまでは、「のんびり」したところであった。
昭和34,5年頃から急速に自動車が増えてきて、踏切が閉まると狭い道路に自動車が詰まって、
「にっちもさっちも行かない」状況が年ごとに頻繁に発生するようになった。


藤沢駅南口
説明図(昭和30年代、昭和58年頃)
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