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仮粧坂切通し ー 新田義貞 鎌倉幕府攻撃 最大の激戦地

仮粧坂切通し
新田義貞 鎌倉幕府攻撃 最大の激戦地

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仮粧坂(けわいざか)切通しは、源氏山から梶原→藤沢→武蔵方面に抜ける「上の道」への出入り口でした。 案内には、
「鎌倉の中で、小町屋(仮説商工業建物)および売買所を構えてよい場所で仮粧坂山頂部は葛原岡と呼ばれていました。後醍醐天皇の討幕計画にかかわった日野俊基が斬首された刑場でもあり、多くの火葬跡もあるそうです。交通の要所でもあるとともに、都市鎌倉の境界にある葬送の地でもあった。」
と書かれています。 仮粧坂の由来は平家の大将の首を化粧して首あらためをした場所とか、化粧した女性(遊女)がいたからとか、お墓が多いので埋葬前に化粧をした場所など諸説あるようです。
ここは新田義貞が鎌倉幕府滅亡を計り攻め入った主力戦場となったところです。新田軍は20万とも40万とも言われた兵力をもって攻めたが地の利が良い要害堅固の切通では幕府軍の守りは固く、打ち破る事は出来なかった。
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源氏山には、頼朝の像(写真左)があり、後醍醐天皇の討幕計画にかかわった日野俊基を祀る葛原岡神社(写真下左)や墓もあります。 源氏山からは、遠く材木座海岸(写真下右)が、茂った木々のあい間から見えます。歩いてみると結構足元が悪く切り立った岩肌が迫る様な切通というよりは、急な登山道のような雰囲気でした。
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釈迦堂口切通し ー 現在は通行禁止

釈迦堂口切通し
現在は通行禁止

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釈迦堂口切通しは、鎌倉内部を結ぶもので鎌倉と外部を結ぶ切通しの「鎌倉七口」には数えられていませんが、大町(名越)地区と浄明寺地区を結ぶ生活に必要な主要な切通しとして整備され、今も中世の面影を残しています。現在は、がけ崩れの危険があり通行は禁止されています(写真は、2006年ころの切通しの様子です。) 昨年、鎌倉市では崩落対策の予算を計上するなど再開通の検討が行われているようです。
 
 北条氏のゆかりの切通し
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釈迦堂口は、歴史的には1224年北条泰時が父義時の菩提を弔うために、この谷に釈迦堂を建てたことに由来しています。釈迦堂のあった場所は不明だそうですが、元々この切通しあたりは、北条時政の名越邸跡があったところといわれておりますので、名越から六浦道へ抜ける要路となっていたと考えられます。