「藤沢今昔」~辻堂駅周辺の移り変わり~ |
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昭和の藤沢と現在の写真を対比した「藤沢今昔」シリーズ、第8回目は東海道線辻堂駅周辺の変貌を取り上げました。なお、昭和の藤沢の写真は、電子博物館みゆネットふじさわ、その他で閲覧した藤沢市所有の写真を掲載させていただきました。 |
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![]() 辻堂駅は1916年(大正5年)に開設されました。大正の初め頃、辻堂地区は半農半漁村で、海岸まで松林が続く静かな村でした。今の辻堂団地周辺は当時旧海軍の演習地で、千人近い軍隊が交代で訓練していました。写真は、辻堂駅南口階段下にある辻堂駅開設記念碑とその由来が書かれている碑です。由来文には「辻堂駅の開設は全国でも類のない地元請願駅で、駅舎用地と建設資金を地元有志が提供し、当時の鉄道院総裁に強力な設置運動を展開した結果実現した」事が記されています。
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駅舎が開設されたことにより、駅周辺から海岸部にかけて開発が進み、知名人の別荘も建つようになりました。辻堂駅開設当初の乗降客は1日平均225人、昭和6年で1,500人程度、昭和52年になると50,000人に増えています。別荘や住宅の増加、駅周辺への工場進出とともに、商店も増え、辻堂駅南口の商店会は客でにぎわうようになりました。 |
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写真は辻堂駅南口を出た東側の商店街で、昭和24年「辻堂銀座会」という名称で設立されました。現在は「湘南銀座商店街」という名称で呼ばれています。現在(令和2年)では、南口広場を渡るぺディストリアンデッキ(歩道橋)が出来、南口に藤沢市有数の高層マンションが建設されています。 |
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昭和52年に、辻堂駅開設以来の大改築が行われ、その年の11月に橋上駅舎が完成し、南北自由通路もオープン、それまでの南口、西口(共に駅の南側にある)に加え、北口も開設されました。それまでは、北側の駅利用者は西側の歩道橋をを渡って西口に行くか、東側の踏切を渡って南口に行く必要があり、かなりの遠回りを余儀なくされていました。 |
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跡地はテラスモール湘南として巨大ショッピングモールに生まれ変わりました。モールエリアのみならず横浜や隣県静岡からも買い物客を集める人気スポットとなっています。
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(初掲載 2010-03-11・更新2020-05-15yukisan) |